2001/8/5

筒井康隆『天狗の落し文』(新潮社)
 「盗用御自由!」とあって、いかにも著者筒井康隆のパブリックドメイン・アイデア帖のようにも見えるのだが、実際には、文字通りの“落し文”、すなわち356編にも及ぶ「文章」が束ねられた本なのである。したがって、本書のアイデアを小説の一部に使うということは、理論的には可能でも、おそらくできないし、できてもたいした効用は得られまい。なぜならば、本書の文章は、すべて著者オリジナルの文体の上に成り立っているからである。単体で並置されていると気がつかないが、語呂合わせ1つとっても、ここまで無駄のない文章は並大抵では書けない。断片的な文章が集合することで、単発の(単純な)アイデアが凝集されていくわけである。
 断筆宣言時代から、連綿と続けられてきた連載の集大成。「落し文」というのは、主にエッセイなどをさす言葉。もともとは、相手に直接伝えられないもので、石を包み投げ込んだ故事による。檄文を指すこともあるようだ。

bullet筒井康隆関係、評者のレビュー
bullet『恐怖』評者のレビュー
bullet『大魔神』評者のレビュー
bullet

装幀:新潮社装幀室

2001/8/12

装画:田口順子,装幀:ハヤカワ・デザイン スティーヴン・バクスター『マンモス』(早川書房)
 バクスターの動物小説。といっても、現代に生きるマンモスが主人公なので、SFには違いない。
 北極圏の小島に、マンモスの一族が生き残っていた。しだいに仲間を減らしながらも、一族の伝統を継承していたが、ある日若いメスである主人公は、伝説の破壊者<迷った者>(人間)を目撃する。追われ殺される仲間、拉致された家族を助けるために、遠く<迷った者>の国までたどり着いた彼女が見たものは…。
 昔から、擬人化された動物が主人公の作品には、あまり高い評価が与えられない。そもそも、評者には動物の「知性」が人間と同じわけがない、という固定観念がある。確かに、「異星人と人類とが(コンタクト不能なほど)異質であるとは限らない」(金子隆一)というのは正しいかもしれない。けれど、人間とイルカやマンモスが、共通の感情や知恵を持つとは思えないのである。表面的な“コミュニケーションが可能”というのと、“知性が同レベル”とは等価ではない。
 本書でも、訳者は苦労して「手」という単語を使わない文章表現を考えているが、人間の言葉である以上、不自然さは残る。生態描写が詳細だからこそ、よけいに気になる。まあ、そんな理屈では、『シートン動物記』すら読めないのですがね。

bullet著者のファンサイト
bullet著者の書誌等を記載したHP
bullet『天の筏』評者のレビュー
bullet『時間的無限大』評者のレビュー
bullet『タイム・シップ』評者のレビュー
bullet

伊島りすと『ジュリエット』(角川書店)
 第8回日本ホラー小説大賞、大賞受賞作。高橋克彦の選評に、前半は和風『シャイニング』(スティーヴィン・キング)と書かれているけれど、同じキングでも『ペット・セマタリー』に近い。
 沖縄のとある小島に、震災で妻と自宅とを失い自己破産した父親と、登校拒否の娘、幼い弟の3人家族が訪れる。破綻したゴルフ場の管理人が、父親の新しい仕事だった。しかし、島の中央、ジャングルを切り拓いた管理棟では、“思い出”にまつわる奇妙な出来事が起こり始める…。
 ミステリではないので、メインのテーマを明らかにするが、本書で描かれるのは、登場人物たちの記憶にある“死者(=思い出)”の蘇りである。という意味では、キングよりもっと類似性が高い作品がある。『ソラリスの陽のもとに』(スタニスラフ・レム)である。さらに言えば、タルコフスキーの『惑星ソラリス』とは、テーマ(記憶に閉じ込められた過去が、形を持って甦る)自体が共通する。著者は、そのテーマをもっと現代日本向き、かつ情緒的に噛み砕いた。硬質なレムとは全く印象が異なり、オリジナルな作品といえるだろう。
 まあしかし、レムも今読めばホラーなのかも。

bullet過去の日本ホラー小説大賞リスト
(このリストでは、既に死者となった景山民夫が99年から甦っていて不気味)
bullet『ペット・セマタリー』評者のレビュー
bullet(早川版『ソラリスの陽のもとに』)(タルコフスキー『惑星ソラリス』)
bullet
カバー・表紙PHOTO(C)IPS 装丁:角川書店装丁室

2001/8/19

装画:水口理恵子,装幀:角川書店装丁室 吉永達彦『古川』(角川書店)
 日本ホラー小説大賞、短編賞受賞作。
 おおよそ40年前、大阪下町に流れる古川と呼ばれる川を巡る怪奇譚。主人公は川岸の長屋に住む小学生。その弟は、まだ2歳で、うまく言葉をしゃべれなかった.
けれども、大人たちの見えないものを見る力がある。それは、川に住む亡霊たちの姿だった。
 古川という地名は大阪南部、堺の一部にあるが、ここでの古川は大和川のことなのだろう。ちょうど大阪市と堺市の市境にあたる川で、じゃりん子チエの舞台である南海沿線の下町界隈にも近い。お話は、川の上流に住む長屋の家族を襲う怪奇現象を描いたものだ。といっても、ここに出てくる亡霊は、貧乏に起因する邪悪さはあるが、ハリウッド映画風に陽性で、陰気さはあまりない。ということで、亡霊を鎮めるための、主人公たちの戦いにも暗さがないのである。
 もう1作「冥い沼」も、同じ舞台で別の小学生たちのお話。沼に住む何ものかの正体探しと、大人のヤクザとの交流を描いたもの。
 何でもホラーのネタになる。戦前の貧乏がホラーになるのは、岩井志麻子が証明した。という意味では、近過去の貧乏が、どの程度ホラーになるかを示した作品といえる。

bulletじゃりん子チエのオフィシャルHP
bullet『ぼっけえ、きょうてい』評者のレビュー
bullet

桐生祐狩『夏の滴』(角川書店)
 日本ホラー小説大賞、長編賞受賞作。少年小説の傑作(荒俣宏)とあるものの、そのように読むには多少違和感が残る。
 地方都市に住む小学生の本好きグループ、主人公の少年、車椅子の少年と、少女の3人組は、何の屈託もなくのびのびと生活していた。しかし、転向していった仲間の行方を追ううちに、町の中で奇妙なことが起こり始める。消え失せる同級生、急に羽振りがよくなった大人たち、そして、主人公の母親もまた変化を見せはじめる…。
 誕生日をめぐる「植物占い」から、結末に至る展開の破天荒さは、ホラー的というよりやはりSF的だろう。
 今回は大賞から部門賞まで、すべて揃うという盛況さだった。ただし、選評にある通り、全般を通して、お話が冗長に感じられる。たとえば本書でも、少年小説の類型をあえて否定する設定(誰も疑問に思わない、虐めぬかれる少女の存在)が、本筋と有機的に関連していない。物語が1点に収斂しないため、印象が散漫になってしまうのである。
 それにしても、主人公が小学校4年生(9歳)というのは、ちょっと無理のある設定では。今の小学生がませて見えるのは表面的な言動だけで、内面まで大人になったわけではない。

bullet著者のサイン入り色紙
日本冒険小説協会 中部支部/注:リンク元削除)
bullet
装画:山田博之,装丁:大野リサ

2001/8/26

装画:もりおかしんいち,装丁:木庭貴信(オクターヴ) 岬兄悟・大原まり子編『SFバカ本 人類復活篇』(メディアファクトリー)
 昨年の11月に出て以来、9ヶ月ぶりのメディアファクトリー版SFバカ本第3弾。今回は前回のほぼ半分の分厚さで、収録作7作、価格的にも手ごろになっている。
 北野勇作は、牧野修らとは一味違った狂気を描いて読ませる。草上仁は、無生物フェチの妻をエロティックに描いたもの。岬兄悟は、主人公だけの孤独な異世界(縁の下)に落ち込む話で、著者お得意のパターン。矢崎存美は片頭痛の主人公しか知りえない“幻覚”との出会いを、小室みつ子は猫だけが知りうる宇宙の謎を、高瀬美恵はベルサイユにマージャンがあったらという“それだけ”でフランス革命を描く。大原まり子はどこかエイグラム(アヴラム)・ディヴィッドスンを思い起こさせる奇想作品。

 相変わらず、タイトル(副題)と関係のない、貴重な(あるようでない)キワモノ的(この場合ホメ言葉になる)アイデア集となっている。

bulletSFバカ本のHP
bullet起『SFバカ本』(1996)評者の簡単なレビュー
bullet承『SFバカ本 たいやき篇』(1997)評者のレビュー
bullet転『SFバカ本 だるま篇』(1999)評者のレビュー
bulletディヴィッドスンが亡くなったころ
(たいていの作家は、ファンタジイの設定ではリアルな事件を描く。読者が混乱しないためなのだが、ディヴィッドスンは、その中でさらに非リアルな事件を書いて、読み手を煙にまいた)
bullet

Back to Home Back to Index