『紙魚の手帖 vol.24 Genesis』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 東京創元社の「紙魚の手帖」(雑誌形式の単行本)による「夏のSF特集 Genesis」も第3弾となる。第16回創元SF短編賞受賞作(2作品)を含め収録小説数は8作と昨年比で変わらないが、今回は短いものが多く分量的にはずいぶんコンパクトになった。

 雨露山鳥「観覧車を育てた人」金沢の廃遊園地で巨大な観覧車を育てる育鉄士がいる。単独ではまず不可能な技だ。その噂を聞いた記者は取材を試みる。
 高谷再「打席に立つのは」高校野球のレギュラーだった主人公だが、肝心の所でイップスが出てしまう。それを見かねたマネージャは自分との入れ替わりを提案する。
 レイチェル・K・ジョーンズ「惑星タルタロスの五つの場景」10年に一度、惑星タルタロスに囚人たちを積んだシャトルが降りていく。
 宮澤伊織「ときときチャンネル#9【高次元で収益化してみた】」インターネット3の情報を検証するサンドボックスが使えなくなった。無料期間が過ぎたためらしい。
 稲田一声「モーフの尻尾の代わりに」感情調合師のところにクレームが入る。もともとの依頼主は老犬の感情を希望していた。創元SF短編賞受賞後第一作。
 天沢時生「墜落の儀式」ナノマシン未接種者の大半が死に絶えたあと、死なない接種者は高層ビルからのダイブを遊びにしていた。復活できるからだ。
 理山貞二「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」文化遺産連続窃盗の容疑者が捕まる。しかし被疑者は事件を認めるも、別に依頼人がいるとうそぶくばかり。
 小川一水「星間戦艦ゴフルキルA8の驚嘆」文明の抹殺を使命とする殲滅者の前に一人の旅人が現れ、すべてを見て回れと忠告する。

 今回の創元SF短編賞は2作品が受賞している。
「観覧車を育てた人」飛浩隆「「アイディアとドラマをどうレイアウトするか」という、だれもが悩む課題への回答としてお手本にしたいくらいだ。アイディアの独創性、それを実装する手際、ロマンティシズム、モチーフ(観覧車)の必然性と効果を隅々まで行き渡らせた」、長谷敏司「こういう要素の取り合わせと情報配置と、描写の抑制の関係は、一作家として、自分も見習うべきものだと、感心しました」、宮沢伊織「架空の歴史における架空のファミリーヒストリーを聞かされるという、それだけならひどく退屈になってもおかしくない話が、観覧車を一周する流れに乗せて語られることでスムーズかつ面白く読めてしまう。静かな物語だが、ラストの解放感もよかった」
「打席に立つのは」飛浩隆「率直なストーリーとプレーンなテキスト、身近な題材や葛藤、前を向く結末。「SF」ラベルにはややもすると、マニアックさや晦渋さ、ある種の独善性、そうした印象がつきまとうことを考えれば、むしろジャンルの最もコアな場所からこの作品を送り出す意義があるだろう」、長谷敏司「青春らしい人間関係や、心情の揺れ動きが、丁寧に描かれていて、それがSFの仕掛けによってドライブしてゆく。よいヤングアダルトSFだと思います」、宮澤伊織「意識交換アプリの名前が〈torikaebaya〉であることからもわかる通り、高校野球を題材にした男女逆転SFである。(中略)フックを軸にしたストーリーテリングが巧みで、野球に詳しくない自分でも非常に面白く読めた」

 対照的な2作品といえる。説明中心で動きが最小限の前者と、キャラを立てた青春小説の後者である。どちらも小説としてよくできている。選考委員の講評にも詳しく書かれているが、奇想のスケール感(文明を左右する技術なのに、金沢、家族、遊園地という狭い領域にあえて限定)と新規性(ありふれたアイデアをテック的に応用)をうまく補っている。とはいえ、これらはテクニカルな面の指摘であって、もう少し新人賞らしいパワー=破天荒さもあれば、とは思う。

 前号に続く唯一の翻訳「惑星タルタロスの五つの場景」はまさに技巧の産物、《ときときチャンネル》シリーズは快調、「モーフの尻尾の代わりに」は前作の設定を踏襲して捻りを加えたもの。自死が自死でなくなったワイルドな世界を描く「墜落の儀式」、久々の登場が目を惹く理山貞二の宇宙SF「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」は、主人公が宇宙盗賊かと思うとちょっと違う方向に持って行かれる。同じく宇宙SF「星間戦艦ゴフルキルA8の驚嘆」は、設定通りのバーサーカーものとならないのがベテランの旨みだろう。この他、入門者向けベスト短編を議論する座談会を収める。

エミリー・テッシュ『宙の復讐者』早川書房

Some Disparate Glory、2023(金子浩訳)

Cover Illustration:鈴木康士
Cover Design:岩郷重力+A.T

 著者は英国在住の作家で主にファンタジイを書いてきた。ラテン語や古代ギリシャ語など“死語”の専門家で、古典語の教師をしていたこともあるという。初のSF長編である本書は、グラスゴーで開催された世界SF大会にて2024年のヒューゴー賞長編部門を受賞した作品である。また、この物語はダイアナ・ウィン・ジョーンズの『クリストファーの魔法の旅』から強い影響を受けたと語っている(著者インタビュー)。

 異星人との戦争に敗れ、地球は140億の人々もろとも滅亡した。主人公は〈ガイア・ステーション〉で暮らす17歳の戦士候補生だった。そこはわずか数千人が住む小惑星要塞で、反攻により人類の再興を図る拠点だと説明されていた。ただ、軍事独裁下の候補生には選択の自由はない。主人公は意に沿わない配属先を命じられる。

 絶望的な状況、敵は強大で味方は少数、勝てる見込みは少ない。この設定は《宇宙戦艦ヤマト》みたいだが、日本的な意味での悲壮感はない。遺された人類はスパルタ式に鍛えられている。とはいえ、極端な役割分担や男女間の性差別がまかり通るテロ集団にすぎないのだ。主人公はたまたま鹵獲した宇宙船の異星人と知り合ったことで、次第に真相を悟っていく。物語は全部で5部に分かれ、ちょっと意外な仕掛けが施されている。

 クィアや移民(異星人)差別、女の役割(『侍女の物語』風)など、現代的なテーマが取り入れられている。ただ、読んでみると《フォース・ウィング》的な(軍隊組織の)魔法学園を思わせる要素が多い。ワープ航法、宇宙戦艦、AI、ハッカーなどが出てくるものの、それらは魔法的なガジェットの位置付けだ。その点を納得できれば、テロリストに洗脳された高校生(相当の年齢)たちが、力を合わせて支配層の嘘を暴き、呪縛からの解放を勝ち取るまでの冒険物語として楽しめるだろう。

エドワード・ブライアント『シナバー 辰砂都市』東京創元社

Cinnabar,1976(市田泉訳)

カバーイラスト:八木宇気
カバーデザイン:岩郷重力+S.K

 エドワード・ブライアントを知る人は少ないだろう。もともと(競作の《ワイルドカード》を除けば)短編が中心の作家だったので、日本では雑誌やアンソロジーでの断片的な紹介が多く、単著翻訳は本書が初めてとなるからだ。ディッシュによって勝手にLDG(レイバー・デイ・グループ。マーチン、ヴァーリイ、ビショップ、マッキンタイヤら、SF大会で群れるエンタメ志向の作家たちを揶揄した言葉)に分類されたあげく、辛辣な評価を受けたことで話題を呼んだりもした。《シナバー》は架空の都市を舞台とする連作短編集である。いわゆる「名のみ高い幻の本」の一つで、半世紀を経て翻訳が出るとはまったく思われていなかった。

 シナバーへの道(1971)砂漠を越えて1人の流れ者がシナバーの外れにあるバーにやってくる。そこで奇妙な撮影クルーを連れたTVディレクターと出会う。
 ジェイド・ブルー(1971)時間編集機械を開発中の発明家と、乳母を勤めるキャットマザーが会話し、いつ戻るのか分からない研究者両親の帰りを待つ。
 灰白色の問題(1972)セックススターは、パーティの席で関係を持とうとする男たちと、とりとめのない駆け引きを続ける。
 クーガー・ルー・ランディスの伝説(1973)庭師が死んで、警察署長は記憶を失う。その事件には3人の夫を持つひとりの女が関係していた。
 ヘイズとヘテロ型女性(1974)タイム・トローリング装置がタイムトラベラーを捕まえる。それは少年でデンバーから来たと言うのだが、時間旅行のことは何も知らない。
 何年ものちに(1976)かつて役者だった父親も今は老いている。そして、毎日妻を相手にさまざまな行為を試しているが。
 シャーキング・ダウン(1975)海洋科学者が海底で作業中、ありえないほど巨大なサメに殺されそうになる。そのサメの正体とは。
 ブレイン・ターミナル(1975)終末に向かうピクニックが試みられる。目的地は町の中心だったが、どのルートを通っても近づけない。コンピュータが妨害しているのか。

 いつともしれない未来(数十年のようでも数万年のようでもある)、シナバーは海に面した孤立都市で、隣接する町とは砂漠に隔てられ交流もない。町の中心部と周辺では、時間の経過速度が違っているらしい。奴隷以下のシミュラクラたち、そしてまた、ネットワークのセックススター、キャットマザー、問題を抱える番組ディレクター、好事家の科学者、時代錯誤のネオ・クリーリストと頽廃的な人物たちが登場する。政府はなく、町をコントロールするコンピュータがその代わりを務めている。

 全部で8つの中短編から成る。バラードの《ヴァーミリオン・サンズ》(1971年刊、9編を収録)にインスパイアされていて、確かにあの砂漠の架空リゾートをイメージさせる設定にはなっている。ただ、ヴァーミリオン・サンズと比べると、シナバーの世界は人物の奥行きが浅いという印象だ。「ヘイズとヘテロ型女性」とか「シャーキング・ダウン」など楽しい作品はあるものの、「コーラルDの雲の彫刻師」のような際立った作品がない。逆にバラードになかった「何年ものちに」などのホラー/スプラッタ的な要素が本書の方にはある。

 冒頭にタオイズムからの引用があり、人々はフリーセックス、ヴァーリイ的なカジュアルな性転換や、縛られない奔放な生き方を実践する。これは、60~70年代に提唱されたフラワーチルドレンの思想に近いのではないか。また、ニューサイエンス(疑似科学)とまではいえないが、それらを許容する時代を反映している部分はある。(対象は本書ではないけれど)ディッシュに酷評されたのは、そういう時代性もあるかもしれない。

キャメロン・ウォード『螺旋墜落』文藝春秋

Spiral,2024(吉野弘人訳)

写真:Moment/Getty Images All copyrights belong to Jingying Zhao
デザイン:城井文平

 著者は英国の作家。数学の学位があり、ITや出版業界で働いた経験がある。他にもペンネームを持ち、サスペンスやスリラーに分類される小説を書いている。本書はタイムループものなので読んでみた。物語は中年のシングルマザーと、その成人した息子との2つの視点で進む。

 ロンドンからロスに飛ぶ旅客機に母親が搭乗している。この便では息子が副操縦士を務めているが、自分が同乗することを告げていない。数ヶ月前に父親の消息を巡って深刻な対立があり、わだかまりが解けていなかったからだ。ところが、到着の間際になって異常事態が発生する。機体のコントロールが失われ、墜落は避けられないと思われた直前、時間が1時間巻き戻ってしまう。一回だけではなく何度も何度も。しかも、繰り返し間隔はあるルールに従って短くなっていく。

 この密室劇とは別に、息子のロスでの父親探しがエピソードとして挟まれる。その正体は、事故の原因ともなる意外な結末とも結びついていく。

 他でも書いたが、タイムループはもはや説明抜きのアイデアとなった。本書でも、タイムリミット・サスペンスにおける時限爆弾と同程度の扱いだ(言葉の意味を知らない人は少数なので)。ただ、ゲーデルの時間的閉曲線という考えをとり入れたのはSF的で面白いが、それならループ内側の機内と外の(すべての)世界は連動しているのではないか、この結末は多世界の一つに過ぎないのではないか、などちょっと気になる点はある。

会津信吾編『バビロンの吸血鬼』東京創元社

装画:まるひろ
装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 大正末期から昭和10年代半ばまでの(戦争の影響がまだ国内に及ばなかった)時期に書かれた怪奇小説を、編者は「昭和モダンホラー」とし「舞台は近代日本、または海外。テーマはタクシー幽霊、オフィスビルの怪異、未確認生物、人体実験、サイコパス、多重人格、性的倒錯など、近代固有の事象」(編者序文)を描くものと定義する。これらは日本的な「怪談」を脱却した作品だった。本書ではさらに「新青年」掲載作を除くという大胆な条件が課されている。この時代の代表的な雑誌を除いたのだから、当然マイナーな作家が選ばれることになる。作品数は21作家/編と多く、短いものが中心である。

 高田義一郎「疾病の脅威」(1928)疾病の原因を除くため人体器官の除去を進めた医師。椎名頼己「屍蝋荘奇談」(1928)行方不明になった妻は高名な精神病理学者の奇怪な屋敷にいた。渡邊洲蔵「亡命せる異人幽霊」(1929)アメリカで幽霊を消してしまう薬品が発明され、亡命幽霊が現れる。西田鷹止「火星の人間」(1929)目覚めると数日の時間が過ぎていた。その間の記憶がないのだ。角田喜久雄「肉」(1929)南アルプスを縦走中の一行は天候不良で足止めされついに食糧が尽きる。十菱愛彦「青銅の燭台」(1929)男女の双子が住む旧家には、閉ざされた部屋とそこに隠された暗号があった。庄野義信「紅棒で描いた殺人画」(1930)横浜の売笑婦の子どもは、情夫によって興行師に売られてしまうが。夢川佐市「鱶」(1930)嬰児誘拐が続く地方で、仕事を探す若い漁師は一隻の舟に雇われる。小川好子「殺人と遊戯と」(1931)親友の自死のあと、僕は彼女との心中を計画する。妹尾アキ夫「硝子箱の眼」(1931)事故の特報記事を書いている記者の前に山高帽の男が現れ奇妙な話を始める。宮里良保「墓地下の研究所」(1931)実験室では人造人間の魂が製造されている。それには霊が必要になる。喜多槐三「蛇」(1932)優生学と人種改造の権威だった父親により、肉体改造された息子の秘密とは。那珂良二「毒ガスと恋人の眼」(1932)同じアパートに住む恋人同志の二人、男は国立研究所で毒ガス研究をしていた。高垣眸「バビロンの吸血鬼」(1933)ミイラ研究の第一人者であった博士が殺され、邸宅から貴重なミイラが行方不明となる。城田シュレーダー「食人植物サラセニア」(1933)蘭の蒐集家で知られる香料業者がニューギニアの奥地で巨大な食人植物を発見する。阿部徳蔵「首切術の娘」(1933)帰郷した故郷の見世物小屋で、主人公は首切術に出演した娘と知り合う。米村正一「恐怖鬼侫魔倶楽部奇譚」(1933)あたり前の映画に飽いた主人公は、数人の金持ちが集う秘密の上映会に誘われる。小山甲三「インデヤンの手」(1935)ミシシッピ川を下る船で知り合った男から、インディアンの祖父が遺した書物があると聞く。横瀬夜雨「早すぎた埋葬」(1936)田舎では土葬が残っている。若い娘が亡くなったときも直ぐに土葬されたのだが。岩佐東一郎「死亡放送」(1939)ラジオ放送の夢を見た。明日亡くなる人を次々と読み上げていくのだ。竹村猛児「人の居ないエレヴエーター」(1939)その病院には近代的なエレベータが設置されていた。しかしその一つには。

 大半の作家は馴染みがない。角田喜久雄や妹尾アキ夫くらい、という読者が多いだろう。それは編者も認めている。掲載誌は「探偵趣味」「蜂雀」「グロテスク」「犯罪科学」「怪奇クラブ」「犯罪実話」など怪しい名前が並ぶ(現存/後継する雑誌はない)。文体は古色蒼然と現代風が入り交じり、エログロであってもアイデアはシンプルだ。SF的なものだと、幽霊を消す薬剤、コピー人間、生きている脳、ロボットの魂、人体改造、食人植物、死亡放送などがある。他にも本格ミステリ、ノワール風のものもあるが、作品の長さも短く、掲載誌の性格もあってディープな方向には進展しない。

 会津信吾の解説は、たとえ無名の作家でも発見を事細かに書いてしまうという、コレクター/研究者のマニアックさが顕われていて面白い。

上條一輝『ポルターガイストの囚人』東京創元社/高野史緖『アンスピリチュアル』早川書房

装画:POOL/装幀:岡本歌織(next door design)

 『深淵のテレパス』で創元ホラー大賞を受賞しデビュー、朝宮運河選ベストホラー2024や、このホラーがすごい2025年版で国内1位を獲得した著者のシリーズ《あしや超常現象調査》第2弾である。好評のため、一回限りだった創元ホラー大賞も継続が決まっている。

 特撮ヒーローとしてもて映やされたが、いまでは冴えない中年俳優の男が実家に帰ってくる。父親が脳梗塞で入院し、空き家になっていたからだ。しかし、住み始めると奇妙な現象が起こり始める。誰も居ないはずなのに、不規則で執拗なラップ音が聞こえる。そして常に感じる誰かの視線、父がつぶやいた「かがみのなかのおんな」。たまりかねた男は、噂に聞く超常現象調査に原因究明を依頼をする。

 登場人物は前回の『深淵のテレパス』事件でおなじみ、調査チームの男女2人と、当てにならない超能力者(今回は2人)、元刑事の探偵らと主要メンバーは共通する。ラップ音自体はポルターガイストだろうと推察されるが、その現象を引き起こす人物(不安定な精神状態の少女など)は見当たらない。事件を追いかけるうちに不吉な呪いは拡散し、しだいに犠牲者を産み出していく。

 前作から続く特徴は、ホラーを怪談(超自然のもの)で捉えるのではなく「超常現象」という自然現象として捉えようとする姿勢だろう。もちろん、すべてが科学で解明されるわけではないが、因縁以上の物理的な因果関係があるのだ。時間空間ともに予想外の方向にお話は進む。オカルトかサスペンスなのか、どちらともいえない曖昧さ(不安定さ)は、ある種の余韻となって楽しめる。

装幀:bookwall
装画:オカダミカ

 高野史緖の作家デビュー30周年記念作。この前の長編(連作を除けば)はベストSF2023で国内編1位となった『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』で、並行世界の青春ものだった。本書は、それとは対照的なスピリチュアルをテーマとする異色長編である(もっとも、標題はそれを否定している)。

 主人公には他人のオーラが視えた。相手の素性、表面に浮かぶ感情や、健康状態までが一目で分かるのだ。家庭はうまくいっていない。夫は不倫しており、自身もパートをしている新宿の整形外科で若い理学療法士に好意を抱いていた。だが、青年のオーラはまったく視えなかった。やがて、主人公は能力を生かした鑑定士(占い師)になり名を上げていく。

 物語では主人公の能力がどこに由来するのか、また理学療法士が何ものなのかが明らかになっていく。著者の既存作品とは異なり、歌舞伎町(近未来?)の風俗描写や、占いなどの(いわゆる)スピ系に大胆に振ったように見えるが、後半の疑似科学に対する扱いなどはSF的な観点を残している。何れにしても新境地の意欲作といえるだろう。

アレステア・レナルズ『反転領域』東京創元社

Eversion,2022(中原尚哉訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 アレステア・レナルズの長編としては17年ぶりの翻訳となる。かつては文庫の製本限界を試すボリューム本(1000ページ)で名を挙げたが、最近ではJ・J・アダムズジョナサン・ストラーン編のアンソロジイや、橋本輝幸編『2000年代海外SF傑作選』に収められた「ジーマ・ブルー」(2021年の星雲賞海外短編部門)など、中短編のイメージが強かった。昔の長編は現代スペースオペラだったが、近作ではどう変わったのだろう。

 19世紀、帆船デメテル号はノルウェーの沿岸を北に向かって航行している。船にはロシア人富豪が雇った探検隊が乗っており、沿岸のどこかにある亀裂を目指しているのだ。そこには未知の建造物があり、発見することで名声ばかりか富が得られるらしい。しかしようやくたどり着いたフィヨルドで思いがけない事態が発生する。何が起こったのか。

 雇われたばかりの船医(主人公)、傲慢な富豪の探検隊長、頑健できまじめな警備担当、観測にのめり込む若い地図担当、職務に忠実な船長、博学をひけらかす貴族の言語学者など、登場人物は多いが性格付けを含めてとてもシンプルといえる。多少謎めいているとはいえキャラに関しては複雑な背景はないようだ。しかし、標題が『反転領域』なのだから、お話までもシンプルというわけではない。

 北極を舞台にした帆船ものとなると、古くはフランケンシュタインとか、TVドラマにもなったダン・シモンズ『ザ・テラー』とかを思い浮かべる。ただ、ネタバレをしない範囲で書くと、本書は(そういう要素もあるものの)ホラーではない。帯に「超絶展開SF」と書いてあるとおり、途中からSFに回帰する。結果として二転三転どころか四転五転するわけだが、さてこのうちどれが「本物」だったのかと振り返って悩むのも、本書の楽しみ方かもしれない。

灰谷魚『レモネードに彗星』KADOKAWA

装画:咸鱼中下游
装丁:坂詰佳苗

 表題作は、第9回カクヨムWeb小説コンテスト短編小説部門の特別賞「円城塔賞」の受賞作品である。「「なにか語りえないことを語ろうとしている感覚」を一番強く受けた」と円城塔は記している。この他にもキノ・ブックスの第3回ショートショート大賞を受けた「スカートの揺れ方」など、自身のnoteに発表した作品や書下ろし1編を含む7編を収録。

 かいぶつ が あらわれた(2015)怪物が世界を壊し始めて60日、紀世子が空に浮かび上がり始めてから57日になる。わたしは紀世子と電話して会話する。
 純粋個性批判(2017)周囲すべてをクソと軽蔑し、尊敬できる人物は架空の世界にしかいない。そんな主人公が、唯一気の合う友と作った小冊子が「純粋個性批判」だ。
 宇宙人がいる!(2014)宇宙人を捕まえたと言う旧友の家に行くと、20年前のアイドルの姿をした宇宙人がいる。自在に形を変えられる宇宙人に俺が望んだものは。
 火星と飴玉(2019)キラキラネームを持つクラスメイトにフードコートで出会ってしまった僕は、本人の好きな千人の名前をつぎつぎと聞かされる。
 新しい孤独の様式(書下ろし)27歳になった主人公はバイト先が潰れて失業状態だったが、中高で短期間同級生だった女性と再会し、おかしな要求を受けることになる。
 レモネードに彗星(2023)私が14歳だった頃、叔母は43歳だった。いまは196歳の美しい老婆になっている。私はこの15年間叔母と2人で暮らしている。
 スカートの揺れ方(2014)スカートが脱げなくなった。スカートと一体化してしまったのだ。私は学友に相談を持ちかける。

 表題作の「レモネードに彗星」にしても「スカートの揺れ方」にしても、ショートショートの長さしかなく(後者の方が短い)、基本的に2人の人物のやりとりで話が進む。表題作について円城塔は「謎が提示されているのかどうかも不明で、しかしところどころに現れる単語や一文が、奇妙な説得力を発揮します」とする。設定の説明は特になくオチもないのに、もやもやを残さずにすっきり終わる(ように読める)。説明なしの説得力というのは、著者の感性というより計算なのだろう。

 一方、書き下ろされた「新しい孤独の様式」の方は、主人公の同級生(帰国子女でエキセントリックな性格)、ビデオ屋の老店主(古い映像ソフトだけを扱う)、VR/ARゲームのキャラと、本来独立した3つの物語があり得ない形で結びついていく。最初のエピソードだけならアニメ的な性格付けだが、あとに行くほど、それぞれの登場人物は(ありがちな)予定調和を裏切る行動を見せる。これだけ広げると、並の手腕では収束が難しいだろう。ところが、老店主のスマートグラス→ARキャラ→同級生という謎の展開でも、整合性があるように読めてしまうのだ。主人公があくまでサブで、自由なキャラの不条理さに翻弄される設定が効いているのかもしれない。これは他の作品とも共通する。中短編クラスでも、短い作品で見せた「単語や一文の説得力」に相当する力を発揮できるようだ。

中野伶理『那由多の面』/大庭繭『うたた寝のように光って思い出は指先だけが覚えている熱』ゲンロン

表紙:山本和幸
ゲンロンSF文庫ロゴ:川名潤

 2024年の第7回ゲンロンSF新人賞大賞受賞作品(2作同時受賞)である。受賞してからまずゲンロン(17号/18号)に掲載され、その後出版(電子書籍)となるため少々時間がかかっている。伝統工芸である能面の制作とAIを結びつけた作品(父と子)と、昏睡状態の親の記憶との接触を描く物語(母と子)という並びは面白い。

那由多の面:文化財の修復を専門とする大学院生の主人公は、ある日幼い頃に母と離婚した父親の死を知らされる。唯一残されたアトリエには能面の下絵が残されていた。依頼を受けて制作する途上だったのだろうが、その絵には亡くなった母の面影が刻まれていた。

 父に代わって面を作ろうとする主人公だが、依頼した能楽師はその要望を無下に拒絶する。曲目と合わないのか、何が問題なのか。表情データから人の感情を測定するセンサーとAI「ペルソナ」の助けを借りながら、主人公は課題に取り組んでいく。

 この作品の場合、能という(マニアックな)世界に対する蘊蓄の部分と、AIやセンサー、脳科学に関する部分の融合が気になる。印象として、前者が重く後者がかなり軽い(読み手の興味にもよる)。主人公、父親、母親、能楽師と、人間関係の壁を切り崩すキーがテクノロジーなので、もう少し後者と前者の相似性を(たとえ虚構でも)明確化して良かったのではないか。著者はSF創作講座の常連(第4~7期生)で、伝統芸/工芸テーマを極めているようだ。

うたた寝のように光って思い出は指先だけが覚えている熱:出産を控えた主人公の母親は脳梗塞で入院している。意識はなく症状の改善は期待できない。亡くなってしまうかもしれない。しかし、新しい技術「うたたね」を利用すれば、昏睡状態でも母の記憶に入っていくことができる。母親が自分と同い年だった25年前の記憶に。

 母親はホステスをしていた。25歳ではまだ身籠もってもいない。母から主人公は透明な幽霊のようにしか見えないが、眠っているときだけ(ホステスなので昼は寝ている)その体を借りて出歩くことができる。

 この作品でも親と子どもを結ぶのはテクノロジーである。記憶へのダイブというかジャックインなのだが、確定した記憶=過去を(映画のように)見せるのではなく、歴史改変が可能なタイムマシンのように作用する。ただし、それはあくまで個人の記憶の範囲に過ぎないので、現実が変わるわけではない。選考会での議論を聞くと、この設定の整合性(解釈)についてさまざまな意見が出ていて面白い。結末が夢なのか現(うつつ)なのかは、注意深く読まないと分かりにくい。

ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』左右社

Welcome to Haunted House,2025(吉田育未訳)

装画:カワグチタクヤ
装幀:島田小夜子(KOGUMA OFFICE)

 日本在住の日本人でありながら英語で作品発表を行い年刊傑作選に収録されるなど高い評価を受けているオガワユキミの日本オリジナル短編集(類例がないわけではないが)。本書の11編はすべて英文だが(本人ではなく翻訳者により)和訳されたものである。

 町外れ(2013)結婚相談所にやってきた古風な女は、マスクで耳元までを覆い「雄が必要なのだ」と繰り返した。仕方なく相手を探す相談に乗るのだが。
 
煙のように光のように(2018)決められた段取りに従って大きな納屋の空間に入り、大旦那のところに行くと、そこで召喚された若い幽霊、母親と男の子の姿を見る。

 お化け屋敷へ、ようこそ(2019)お化け屋敷にはさまざまな妖怪がいる。人形や傘、リュート、何枚かの皿などのモノが化けている。ただ、記憶は朝にはリセットされる。
 
つらら(2013)つららは半分人間で半分雪女だった。心臓が氷柱でできていた。ひとりで海を見に行く決心をし家を出ることにした。
 
童の本懐(2018)家に取り憑いた妖怪は、そこに住む女と祖母、娘のために力を盗み出す。しかし、自分から力を盗んだことで何もかもが緩慢に悪くなる。

 NINI(2017)宇宙ステーションに設けられた高齢者施設では、やさしい外観をしたニニが医療AIとの仲立ちをしている。餅を分解して非常食とする機能さえ持っていた。

 手のひらの上、グランマの庭(2021)父親が進学資金を使い込んだため、わたしは異形の生き物グランマの、ワームホールの先にある家で働くことになった。

 パーフェクト(2014)変色したマグノリアのドレスを着たわたしは、出会う人々から完璧なもの、頬や手や目玉、肉体を次々と手に入れていく。

 千変万化(2016)島の呉服店で働く主人公は、爪先の色を自在に変化させる有名なモデルと知り合いになる。ところが、偶然ポリッシュを手に入れたことで。

 巨人の樹(2014)夢の中で共に過ごした巨人との暮らしは、ふるさとの校庭にあるケヤキの巨木とつながっている。

 アウェイ(書下ろし)「ナミ様」はさまざまなものになって生き返ってくる。今度は空だった。そして甦るたびに、元の世界から何かを連れ帰ってくるのだ。

 日本の妖怪もの(たとえば《しゃばけ》とか)のユーモラスな雰囲気を感じさせる。だが、結末は少しダークになる。舞台も日本とはいえないどこか(日本的な幽霊とトウモロコシ畑が共存する)、無国籍の設定となっている。発表誌の多くはホラー/ファンタジー系が多い。

 物語では、現実に近い世界と夢の世界/異世界とがシームレスに置かれている。「アウェイ」では、何にでも姿を変えるナミ様が存在する世界(ファンタジイ)に、元の生々しい世界(リアル)が垣間見える(現実の方がアウェイなのだ)。異世界もまた単純ではない。「煙のように光のように」では大旦那様の納屋の中に、さらに霊界を呼び出す2段階目の異世界が現出する。こういう、一筋縄でいかない構造の精妙さがユキミ・オガワの面白さなのだろう。