土形亜理『みずうみの満ちるまで』早川書房

装画:萩結
装幀:田中久子

 第13回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。著者は1980年生まれで、本作がデビュー作となる。版元に本作の専用ページができている。最近のコンテスト受賞作は、たとえ地球規模の問題でも個人の視点からミニマムに描く「新たなセカイ系(シン・セカイ系)」とでもいえる作品が目立つ。ただし、そのセカイは地球温暖化と民族/難民差別というリアルなものに直結する。

 〈ヘヴンズガーデン〉は近未来のどこかに置かれた、ある種のホスピスである。温暖化の影響が及ばないグリーンフィールズにあり、湖に面した低層の建物〈パレス〉と緑に包まれた森からなる。ここにやってくる超富裕層の人々は、巨額の財産をすべて寄付して安らかな/希望通りの死を選ぶのだ。それが自治区の収入となり、受け入れる難民の保護に充てられる。主人公は施設で働くコーディネーターだった。

 ホスピスと言っても、ここでは肉体的な苦痛を和らげるのではなく、精神的な苦しみや罪悪感を贖罪する。地球温暖化がさらに進んだ世界、居住可能な地域は縮減し大量の難民が発生する。富裕層は快適さが残る北か、超高層のタワーに閉じこもり、難民を排除する。そこに難民を受け入れる自治区が作られ、篤志家(富裕層の一部)の財産贈与で運営がなされる。

 主人公はさまざまなゲストを迎えて自死するまでの要望を聞き、施設に勤める従業員や三毛猫の姿をした管理人と交流する。彼らの厳しい境遇は、物語の中で徐々に明らかになっていく。優しい登場人物ばかりだが、物語の全体に死と破滅の影が見え隠れる。リアルさをちょっと踏み越えた設定(ヘヴンズガーデン)、数奇な運命を経た人物の心の機微(弱さや精神的外傷)を描き出す手法は、菅浩江の《博物館惑星》を思わせる。

 選考委員の評価(抜粋)は以下の通り。小川一水:この締めくくりが主人公にとって幸福なものなのかそうでないのか、わからない。未知を残した余韻に感嘆して、改めて大賞に推した。神林長平:いつなのか、本当にそういう時が来るのかは、だれにもわからない。このわかりにくい書き方が、〈物語の力〉を殺いでいる。菅浩江:「主人公の魂の落ち着き先」=「読者の納得」は明確に打ち出した方がよかったと思います。ですが、わたしはこの雰囲気がとても好きでした。塩澤快浩:これは果たして小説なのか、死に向かう人たちのドキュメントに過ぎないのでは、という疑問が生じてしまった。ただ、メッセージとしての強さは比類ないものがある。

 関元聡の作品と同様、審査員の見解は概ね一致している。この作品では、結末の「わかりにくさ」が難だった。単行本化の段階で改善されたと言えるが、まだモヤモヤするのは、全体のトーンが死=救いのように読めてしまうからだろう。死ではなかったとしても、果たして主人公は救済されたのか。

佐々木譲『偽装同盟』/『分裂蜂起』集英社

装幀:泉沢光雄(書影は電子書籍版)

 『抵抗都市』から始まった《歴史改変警察小説3部作》が『分裂蜂起』で完結したので、前作『偽装同盟』と併せて紹介する。2018年から始まった3部作だが、『偽装同盟』は小説すばる2021年1月~8月連載、『分裂蜂起』は同誌2024年11月~25年8月に連載されたもので、合わせて7年間に渡る大作となった。他に、枝編とも呼べる『帝国の弔砲』などもある。

偽装同盟:1917年の3月、主人公の特務巡査は1人の女性が絞殺された事件を追っていた。洋装で外傷もなく売春をしているようでもない。ロシア人将校の犯行を疑わせる事件だったが確実な証拠がなかった。あったとしても統監府が絡むと問題がこじれる。折しも、大戦が膠着状態にあったロシア帝国で革命が勃発する(ロシア暦二月革命)。

分裂蜂起:1917年11月、川に浮かんだ死体の身元を探る主人公は、潜入捜査を試みる中で、ロシア資本の工場で起こった大規模な労働争議のただ中に巻き込まれる。ロシアでは評議会(ソビエト)を旗印に掲げる過激派のボルシェビキが政権を奪取(ロシア暦十月革命)、駐留ロシア軍も翌年には撤収することが決まり、日本社会は大きな変動期を迎えていた。

 日露戦争敗戦11年後からの3部作で、旅順帰りで戦傷に苦しむ特務巡査(刑事に相当)の2年間が描かれる。民間の殺人事件を担当していても、その背景には日本やロシア政府の政治的な思惑が見え隠れる。本書の場合は、時代設定の稠密さが特徴だろう。事実上の占領下、地名もロシア化され、工場経営者や技術者、軍人など3万余のロシア人が在留する東京の風景。一般市民も、経済的に豊かなロシア文化に憧れる。ロシア語が氾濫するようになった東京界隈は(米軍占領下日本のアナロジーとはいえ)異国感が増して印象深い。

 大正期、女子の労働はまだ限定的/抑圧的だったし、貧富の差は次第に大きくなり、労働争議は待遇改善を訴えるだけでも犯罪とされた。そういった社会情勢下、日本の高等警察(特高警察)やロシア保安課から干渉を受けながら、ストイックに自身の役割を貫く主人公がなかなか渋い。政治が背景に見え隠れしても、この3部作あくまでも警察小説なのだ。ロシアが去った後の日本は、しだいに元来た歴史へと収斂していく。また違う道もあるのではないかと夢想する。

キム・イファン『おふとんの外は危険』竹書房/イ・ユリ『ウェハース君』晶文社

이불 밖은 위험해,2021(関谷敦子訳)
 イラストレーション:ハラケイスケ/デザイン:坂野公一(well design)
웨하스 소년,2024(渡辺麻土香訳)
 装画:瓜生太郎/装丁:脇田あすか

 キム・イファンは、2004年から長編を主体に書いてきた韓国作家で、多くの受賞歴があるが(単著での)短編集は本書が初になる。ブラッドベリの『火星年代記』に惹かれて書きはじめ、ハインラインやゼラズニイ、ローリングや村上春樹らを好むという。

 おふとんの外は危険:外は危険とふとんが言いだし、周りの家具や道具たちもしゃべり始めた。Siriとの火曜日:AppleのAI人型ロボットSiriがやってくる。公開データだけで、自分たちの秘密が見透かされてしまう。バナナの皮:夜中に開くコーヒー店には変わった店主がいる。店主は最後にプレゼントをくれる。#超人は今(長編の原型短編):テロ事件の目撃者をさがし、インタビューを続ける追跡者。事件は超人の働きで解決したのだが。運のいい男:気分が冴えない主人公に、見知らぬ誰もがなぜか同情しておごってくれる。セックスのないポルノ:交互に続く、セックスに興味が湧かない無性愛者の夫婦とSM愛好者2人の会話。魔導書:暴れるドラゴンを退治する無敵の騎士、しかし勇者を悩ます夢があった。万物の理論:科学者がマクドナルドで宇宙終末がいつかを計算する。スパゲティ小説:面白い話をしないと死ぬ集まりに紛れ込んだ小説家。君の変身:人体がいつでも改変できる社会では、恋人は外観や性別さえ自由に変える。天国にもチョコレートはあるのか:死を予感したヨハネは別れの前にチョコレートを訪問者に振る舞う。透明ネコは最高だった:透明ネコはなんでもしてくれる。家事や食事、お金の用意まで。

 韓国の他の作家とも共通するが、発表媒体がWeb中心のためなのかあまり長くはない。掌編から中編の手前くらいの分量なので、負担なく読めて後味もすっきりしている。といっても、中で描かれる世界には重みがあり、現代的な社会問題が織り込まれていたりする。キム・イファンの作風は結構ソリッドで、たとえば「スパゲティ小説」では魔法の謎解きをミステリタッチで解き明かす。この理詰めさが特長だろう。多くのアイデアは過去のSFでも見られたものだが、それをオチの一歩手前の小道具として扱うのが今風だ。

 イ・ユリは2020年にデビューした若手作家。昨年9月に邦訳が出た初短編集『ブロッコリーパンチ』(2021)は韓国でベストセラー、日本でも話題になった。ミステリの愛好家のようだが、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』などの名前も挙げている。

 ガーデニングの楽しみ:私は惑星栽培が趣味だ。店主に勧められて固体型惑星の地球を買った。リプレイする日:人生で一度だけリプレイする日を設定することができる。私の場合は中学生の一日だった。五分間:ウィルス汚染が広まった社会、保護メガネをせず目が開けられるのは5分間だけ。トゥデイズムード:毎朝届く箱に浸れば、平凡な一日でも華やいだムードに変わる。ウエハース君:幼児のころは天使のように飛べた男も、大人になると羽根はもはや邪魔なだけだった。思い出を紡ぐ:私は冬になると、古びた機械で思いを込めた糸を紡ぎ出す。ジュエリーモスキート:宝石のようにきらめく蚊には、血と同時に吸い取る大切なものがある。キノコの国で:10年を共に過ごしたパートナーが、白く発光するキノコになってから10日が過ぎた。一方、別の宇宙では:異次元ドアの向こうに行くと、その人が選んだかもしれない別の人生が確認できる。三頭猫:3つの頭を持つ三頭猫には素晴らしい洞察力がある。アナザーストーリー:私の部屋に私がやってくる。もう一つの人生を送った私だ。ハッピーペンダント:そのペンダントは1日のハッピーな瞬間を記録する。フジツボ:海岸で怪我をした友人の様子がおかしくなった。新年の誓い:向かい同士の売り場にいるデパート勤務の2人が、次々と披露する奇妙なエピソードの数々。

 SF好きという記述はないが(生まれたときからのSFネイティヴ世代ではある)、本書にはSF的な奇想アイデアがたくさん詰め込まれている。惑星を育てたり、人生をリプレイしたり、パンデミック下の理不尽、翼を持つ男の悲哀、感情を織り込む糸、記憶の抽出、人間をキノコに変え、並行世界を行き来したりする。キム・イファンで書いたようにアイデア自体は既出だが、これらがネタではなく主人公(多くは一人称)の心理を反映するツールの一つになっている。SFの彩りをまとった現代の綺譚集と言ったところか。

 

ケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』河出書房新社

The Drowning Girl,2012(鯨井久志訳)

装画:雪下まゆ
装丁:名久井直子

 著者は1964年アイルランド生まれの米国作家、古生物学者でもある自サイトのトップページが本書のトレーラーになっている)。多くの著作と受賞歴がありながら(18年前に訳された)ノヴェライズの他、短編が数作翻訳されただけで日本ではほぼ知られていなかった。本書はブラム・ストーカー賞ジェームズ・ティプトリー・ジュニア(現アザー・ワイズ)賞を受賞した注目作である。ひと昔前の作品ながら、いま読んでも新鮮だ。

 主人公はタイプライタで怪談を書こうとしている。画家を自称するが、1枚も売ったことはない。いまは偶然知り合ったトランス女性と同棲している。あるとき深夜のドライブで川辺を走っていると、ヘッドライトに美術館で見た「溺れる少女」そのままの裸の女性が浮かび上がる。

 舞台は現代(2010年頃)、物語は主人公の一人称で語られ、自問自答が入り交じる。母親、祖母は精神的な病で亡くなっており、娘の自分も精神科医にかかっていて薬が欠かせない。「溺れる少女」は幼いときに母に連れられて見た美術館の絵だ。絵の女が実在の女になり、女は何か過去にあったおぞましい事件と関係があるらしい。

 主人公はさまざまな葛藤を抱えている。記憶は混乱し、書かれた物語はある部分では一貫するが、別の部分と整合しない。夢なのか現実なのか/歴史的な犯罪なのかカルトなのか/あるいは強迫観念にとらわれた妄想なのか。これらが渾然となって読み手にまとわりつく。この混沌さには、お話がPCとかではなく、簡単に書き換えられないタイプライタで書かれたという設定が効いているのかもしれない。

 視点は病んだ主人公にある。つまり語りが真実かどうか分らない。文学では常套的な読者を欺く技法だが、とはいえ、積み重ねられた嘘(思い込み)は重厚だ。ルイス・キャロルの詩などさまざまな引用と物語内物語(既存の自作品を含む)を駆使する複雑な構成なので、読み通すのは大変ではあるものの、書かれた内容自体は難解ではないだろう。訳文も明快で読みやすい。ただし、一応の解決を見る結末にミステリのような明快さはない。

 

斧田小夜『では人類、ごきげんよう』東京創元社

Cover Illustration:riya
Cover Design:岩郷重力+T.K

 第10回創元SF短編賞(2019)受賞作「飲鴆止渇」を含む6作品を収めた短編集。紙魚の手帖、ミステリーズ!、《NOVA》などでの掲載作と書下ろし表題作を含む。受賞後時間を経ているが、著者はその間にも着実に作品を書いてきた。本書は2022年に出た『ギークに銃はいらない』に続く第2短編集となる。

 麒麟の一生(2023)ヤマタノオロチから酒を学んだ彼は、漢の武帝の元に降り立ち、白馬の麒麟として崇められる。ところが酒を呑むばかりで何の役にも立たない。
 飲鴆止渇(2021)田舎出身で兵士となった主人公は、首都の警備のため民衆で埋め尽くされた広場に派遣される。やがて、その上空に羽に猛毒を持つ巨鳥、鴆(ちん)が舞う。
 ほいち(2024)赤間神社の駐車場に駐車禁止の張り紙で覆われた車が見つかる。ここは耳なし芳一の怪談で有名なところだが、なぜ自動運転車がそんなことに。
 デュ先生なら右心房にいる(2023)開発基地で人がもっとも行き来する右心房に、変わった老医師がいる。かつて開発に必須とされた宇宙ロバ驢䍺(ロカ)の専門家なのだ。
 海闊天空(2021)南の海底都市から離れ、北の再生工場で働くようになった少女は、やがて遊牧民の青年と結ばれ子どもを作る。その子が土に埋まっていた像を掘り出す。
 では人類、ごきげんよう(書下し)太陽系外から飛来し、小惑星帯で自立的に停止したアンノウンを探るべく、プロジェクト・イリスから人工知能が派遣される。

 ファンタジイかと思うと焦点はそこにはなく(冒頭の作品では、ヤマタノオロチ、漢の武帝と続いてから結末で急転する)、寓話なのかと思っていると政治的な近未来サスペンスとなったりする。高山羽根子にも意外性はあったが、著者のベースはIT/理系なので、SFだったらこうなるはずだとの常識を外しにかかる。自動運転車が耳なし芳一になる「ほいち」もそうだが、表題作は特に顕著だろう。長大で極薄の物体とのファーストコンタクト、壮大な探査プロジェクトの発動、人工知能(「弊機」のような独白)の登場ときて、アンノウンの目的がこれ……となるのは、やっぱり著者独特の発想力なのだと思う。

トマス・リゴッテイ『悪夢工場』河出書房新社

The Nightmare Factory,1989,91,94,96(若島正編訳、白石朗訳、宮脇孝雄訳)

装幀:水戸部功

 これまで断片的にしか紹介されてこなかった〝ホラーの化身〟リゴッティの、全9編からなる日本オリジナル短編集である。1996年に出た自選集からの収録なので、書かれたのは80~90年代頃のものとなる。しかし、時代性を超越する本書の作品に、40年程度の歳月はあまり影響を及ぼしていないようだ。

 戯れ (1982)刑務所に勤務する精神科医は、名を明かさない1人の患者から、収監されているのは戯れなのだと聞かされる。
 アリスの最後の冒険 (1986)昔の知り合いの葬儀に出席したあと、児童書作家の主人公は、自分の書いたお話にまつわる出来事が周囲で起こっていると気がつく。
 ヴァステイリアン (1987)奇妙な書店で主人公を魅了した本は、とてつもなく高価だったが、ある男の助けでなんとか手に入れられる。
 道化師の最後の祭り (1990)道化師の研究をする男は、田舎町に知られていない愚者の祭があり、そのパレードに道化が登場することに興味を引かれる。
 ネセスキュリアル(1991)手記は島の宗教遺跡について書かれたもののようだった。それは邪神ネセスキュリアルを祀っていた。
 魔力 (1991)遅い時刻に、家から離れたところにある映画館に入る。「魔力」という映画を上映しているはずが、そんなものはないと撥ね付けられる。
 世界の底に潜む影(1990)黒い茎がトウモロコシ畑の地面から芽吹く。取り払おうとすると、底知れぬ穴が開き……。
 ツァラル(1994)出て行こうとしてもまた戻ってしまう町。呪われた町で牧師の父が持つ禁断の書「ツァラル」には、神々より古いものが書かれている。
 赤塔(1996)廃墟と化した工場には、どこにも出入り口が見られない。そこはおぞましくも不可解で奇妙な商品を製造していた。

 超常的なサイコパス、フィクションの現実化、異界を呼び出す本、田舎町の因習的な祭、邪神の存在、異様な映画館、深淵に開く穴、閉ざされた町と古きもの、異次元に続くような工場。たしかに、ラヴクラフト風、宇宙恐怖風の作品もある(「道化師の最後の祭り」などはラヴクラフトに捧げられている)。とはいえ、これらは(相似性はあるものの)クトゥルーものではないし、登場人物たちの狂気には、不条理で現実離れしたむしろシュールな雰囲気が付き纏う。編者解説によるとリゴッティには反出生主義の影響が強く見られるという。日常でもオカルトでもなく、哲学的な思想から非現実に接近しようとする作風は、他のホラー作家には見られない特徴だろう。哲学の本質がホラーなのだとしたら、それはそれで恐ろしいのだが。

関口聡『摂氏千度、五万気圧』早川書房

Cover Illustration:富安健一郎
Cover Design:岩郷重力+S.I

 第13回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作。今回は大賞はなく、優秀賞と特別賞各1作という結果だった。著者の関元聡は、既に短編での受賞歴(第9回第10回の星新一賞グランプリ)がありアンソロジイへの寄稿もしているプロの作家である。どんな長編を書くのかと注目度も高かった。

 温暖化が進む地球にどこからともなく宇宙船が現われ、各地に断熱密閉ドーム「コクーン」を建造してまた飛び去る。それは灼熱地獄から人類を生存させる砦となり、宇宙船は〈救済者〉と呼ばれるようになった。しかし、気温が100度近くまで上昇するドーム外の環境では人類は生き残れず、コクーン内のエリートたちを残して死滅してしまう。それから数百年経った未来、世界各地のコクーンからの通信が次々と途絶する異変が起こっていた。

 この時代の地球は、しかし死の世界ではない。高温に適応した動植物が繁栄し、特殊な生存能力を秘めた女系種族も生きていた。物語はそんな女系種族の2人、コクーンの科学者である1人の女性を軸に進む。火星のテラフォーミングなどをちりばめながら、異変の真相を探る物語でもある。

 選考委員の評価(抜粋)は以下の通り。小川一水:変わり果てた未来世界での、黙示録的な長旅の風景はSFというに相応しく、やや複雑だが構成力に富んだ話作りを認めて全員が一定の評点を付けた。神林長平:ストーリーはよく出来ていて構成も上手いのだが、この物語の設定を読者に納得させる力が弱い。菅浩江:真っ向勝負のSFで嬉しかったです。(中略)文章表現も巧み、ネタもよく処理もよい。細かい傷をつぶした後の書籍化が楽しみです。塩澤快浩:SF的なアイデアや精緻な自然描写は素晴らしかった。一方で(中略)クライマックスへ向かっていく感興に乏しい点が残念だった。

 長所、短所に対する指摘については、各選考委員の意見はほぼ一致しているようだ。修正ポイントは明らかなので、書籍化された本書はどうなのかと思って読んでみた。標題はクレメント的なハードSFを連想させるが、そういうものより人間寄りの物語である。超温暖世界で特殊進化した人類(特殊化された地球)と、火星に行くしかない旧来の人間とが共存できるのか。それはまた、過酷な母系社会の母娘と、文字通り閉じられた旧社会の父娘との相克をも描く。この著者の場合、興味の中心は「物理」よりも「環境」にあるのだろう。そういう本来のテーマがより明瞭に示された仕上がりだった。

酉島伝法『無常商店街』東京創元社

Cover Illustration:カシワイ
Cover Design:小柳萌加(next door design)

 「紙魚の手帖」掲載の2作品に、書下ろし中編を加えた連作中短編集である。舞台はこれまでのような異星ではないが、われわれの知る日常とは異なる「無常」の世界。今回の登場人物は異形の姿でこそないけれど、やはりふつうの人ではない。異能を秘めた人間なのだ。

 無常商店街(2021)翻訳家を職業としている主人公は、アパートで猫の面倒を見るよう姉から命じられる。無常商店街の調査に行って留守になるからという。アパートは浮図市掌紋町にあるが、厚生労働省の要観察地域になっているらしい。
 蓋互山、葢互山(2024)町が気に入って住むことにした主人公に、姉から今度は商店街の奥底で人を惑わす黒縁眼鏡の男を引きづり出せと指示が下る。その男を連れて行く先が不束市にある蓋互山なのだ。
 野辺浜の送り火(書下ろし)主人公は、またも姉に今度は海辺の千重波市野辺浜町へと呼び出される。しかも式典に出席する準備をしていけとの伝言が。何の式典なのかは分らない。目的地は海鮮を扱う賑やかな商店街を抜けた先にあった。

 無常商店街は次々と姿を変える。うかつに深部に踏み込むと二度と元へは戻れない。(ある種の)次元断層(のようなもの)を転がり落ちていくと、地名どころか言葉も、土地の習俗さえもが変化し、得体の知れないものが次々湧き出てくる。そこを主人公は(よく分らない)異能によって切り抜けていく。

 「皆勤の徒」は著者が勤め人だった頃の体験が魔改造されたもの、『宿借りの星』は人類の未来と地続きだった。つまり、異様には見えても現存する世界との接点がある。本書でも、著者が世界を旅して体験した異文化(イスタンブール)や東尋坊商店街とかが創造の源になっている(巻末対談を参照)。連作集『ゆきあってしあさって』で夢想した架空の都市を、活気があった時代の庶民的な商店街や、ローカルな観光地の光景に投影した作品といえる。そういう意味では今どきの怪談に近いが、日本的な因縁話には(なりそうで)ならない。

サラ・ピンスカー『いつかどこかにあった場所』竹書房

Lost Places,2023(市田泉訳)

イラスト:カチナズミ
デザイン:坂野公一(welle design)

 サラ・ピンスカーの第2短編集。著者の短編集はすべて(といっても2冊だが)翻訳されている。ここ10年ほどの間で、メジャーな賞の受賞歴が二桁あるという米国の人気作家だ。本書には2021年のヒューゴー/2020年のネビュラ賞中編賞「二つの真実と一つの嘘」、2022年のヒューゴーローカス/2021年のネビュラ賞短編賞「オークの心臓集まるところ」の2作が含まれている(賞によって年度が違う)。まさに注目に値する作品集だろう。

 二つの真実と一つの嘘(2020)旧友の兄が亡くなる。虚言癖の主人公が遺品整理を手伝っていると、でまかせで話したはずのTV番組が実在したことが分る。
 われらの旗はまだそこに(2019)国旗にとっては栄誉のはずだ。急死しても一日の役割は全うして貰わなければいけない。だが担当者は疑問を口にする。
 ぼくはよく、騒音の只中に音楽が聞こえる(2018)ガーシュインやエリントン、アームストロングのブロードウェイ、そこに波紋を投げかける1人の作曲家と俳優がいた。
 宮廷魔術師(2018)手品の才能がある少年が見出され、宮廷魔術師となる。しかし魔法を一つ実現するたびに代償が生じる。
 今日はすべてが休業している(2019)テロ警報が出て、主人公が非正規で勤めていた図書館も閉まってしまう。お金には困るが、近所の子どもたちにスケボーを教え始める。
 センチュリーはそのままにしておいた(2016)ルールを破って飛び込むと、もどってこれない池があった。兄も消えてしまった。
 ケアリング・シーズンズからの脱走(2018)介護ホームとしては万全のはずだったが、経営母体が代わってから怪しくなる。外部との接触を絶たれた主人公は脱出を図る。
 もっといい言い方(2021)サイレント映画のセリフを叫ぶ仕事をする主人公は、新聞記者の代役でフェアバンクスの弓矢事件を目撃する。
 わたしのためにこれを憶えていて(2017)画家はメモ帳を見ないと、自分が何をすべきなのか思い出せない。会った人も、出来事も。
 山々が彼の冠(2016)皇帝の命令で畑が減らされ、何を植えるかも指示されるようになる。それも皇帝の衣装のために。
 オークの心臓集まるところ(2021)英国に伝わる民謡がある。その全20連、あるいは21連のバラッドの解釈を巡ってSNS上で論争が繰り広げられる。
 科学的事実!(書下し)6人の少女たちと指導員2人によるサマーキャンプは、当初の指導員が交替したことで不穏な空気を帯びる。深い森で少女たちが体験したこと。

 含まれている作品は、前作同様さまざまなアンソロジイやウェブマガジンに掲載されたもの。「二つの真実と一つの嘘」はキングみたいな設定なのに(不気味なテレビ司会者が出てくる)ホラーにはならない。一方の「オークの心臓集まるところ」は、SNSのやりとりから真相(らしきもの)に近づいていくサスペンス風のお話。ウェブ上で読んだ方が雰囲気が出る。受賞もそういう点が評価されたと思われる。

 「わたしのためにこれを憶えていて」は『百年の孤独』みたいだが(実在する病気でもある)詩的なまとめ方に妙味があるだろう。「ぼくはよく、騒音の只中に音楽が聞こえる」「もっといい言い方」の舞台は1920年代頃のニューヨーク、著者お気に入りの題材のようだ。「ケアリング・シーズンズからの脱走」はアトウッドを思わせ、「科学的事実!」の結末はなんとも居心地が悪い。この独特の後味がピンスカーなのだ。

ジェイムズ・モロウ『ヒロシマめざしてのそのそと』竹書房

Shambling towards Hiroshima,2009(内田昌之訳)

カバーイラスト:飯田研人
カバーデザイン:坂野公一(well design)

 著者は1947年生まれの米国作家。十数冊の著作を出しているが、宗教テーマが多いためか日本では中短編2作の紹介があるだけだった。本書はそのうちの中編(ノヴェラ)で、SFマガジン2011年3~5月号に連載されたものを、改訳単行本化したもの(アメリカでも単行本になっている)。2010年のスタージョン記念賞を受賞している。

 1945年、ドイツは降伏し日本も劣勢に立たされていた。しかし、その頃でもハリウッドではB級ホラー映画の制作は続いている。そこで活躍する怪物役の名優に、なぜかアメリカ海軍から極秘作戦へのオファーがかかる。モハーヴェ砂漠の奥にある秘密基地で生物兵器が開発されているが、実戦に使うにはあまりに危険すぎたため、ミニチュアと着ぐるみを使ったデモンストレーションで日本を降伏に追い込むというのだ。もちろん、着ぐるみに入るのはその名優だった。

 まるでネタのようなアイデアだ。本書はそれをコメディを交えながら、いかにもリアルに描き出す。特撮で敵を屈服させることにも理屈が付けられ、その結果起こる事態に不思議な説得力が生まれる。軽快な並行世界もののようでいて、やがて重い現実に収斂していく。本書の場合は2つの読みどころがあるだろう。1つは40年代のB級ホラーもの、戦後のホラーや日本を含む怪獣映画への深いオマージュ、もう1つは終幕を占める主人公のヒロシマに対する贖罪の思い。

 遺書を書く導入部も結構深刻なはずなのだが、諧謔を交えた語りによってそうは感じさせない。巧みにありえない物語の中へと誘い込まれる。