2000/01/04

オースン・スコット・カード『赤い予言者』(角川書店)
 98年の暮れに出た『奇跡の少年』(Seventh Son)の1年ぶりの続編。もともと、強烈なメッセージを物語に織り込むことを身上とした作家だけに、本書での寓意性は前作に比べても強くなっている。原作は88年に出ており、続く第3部も89年には出ている(アルヴィン・メイカー3部作)ので、カードとしてはやや旧聞に属するお話ではある。
 隻眼のインディアンがいた。幼いころ父親を殺されてから、黒いノイズに悩まされ、酒が手放せなくなっていた。彼は、アルヴィンの“治療”を経て、予言者テンスクワトワとなる。予言者の下には多数の民が集まり、白人との平和共存の道が拓かれようとする。しかし、ある行違いから憎悪が生まれ、大量虐殺と戦争が勃発していく…。
 ある意味で、並行世界の歴史ものであったお話は、本書では自然との共棲者=インディアン、対する破壊者=白人と追従者に描き分けられ、よりファンタジイ色が濃くなっている。とはいえ、本シリーズで描かれるような民族・人種対立は、ある意味で普遍的なテーマなのであり、単にお話だけの問題ではない。インディアンもまた妖精のようなファンタジイの存在ではなく、現実の人間なのである。アメリカではインディアン迫害への贖罪の意味を込めてか、本シリーズの評価が高かった。それを偽善ととるか否かが、評価を分けるポイントだろう。
カバー;藤田新策

2000/01/16

CoverIllustration:加藤直之,CoverDirection&Design:岩郷重力+WONDER WORKZ ジョー・ホールドマン『終わりなき平和』(東京創元社)
 1998年ヒュ―ゴー/ネビュラ/キャンベル賞受賞作。
 ホールドマンといえば『終わりなき戦い』(1975)とか、比較的最近では『ヘミングウェイごっこ』(福武書店)などが知られる。とはいえ、この題名からはどうしても『終わりなき戦い』を連想してしまうので、それが実は本書を理解する上での障害となる。
 近未来、地球は南北世界に分断され、終わりなき局地戦が続いている。発展の遅れた南とは違い、北の世界では、ナノ鍛造機が人々の望むあらゆる製品を製造し、労働は意味を失っている。兵士もまた、ソルジャーボーイと呼ばれる遠隔操縦のロボットに代わっており、生身の人間は戦わない。そんなある日、操縦者である主人公は、恋人の物理学者から、宇宙空間で起こる驚くべき現象を知らされる…。
 ベトナムの影が濃かった過去の作品と較べると、本書の視点はよりグローバルになったように思える。目前で繰り広げられる“戦争”自体を対象とせずに、それを行う人間の性にまで遡って物語を展開しているからだ。とはいえ、お話の3分の1までは、やはりソルジャーボーイと生身の人間の戦いが主眼であり、過去のホールドマンを思わせながら、一転宇宙的異変と人類の意識改革(改宗?)を主張されても、唐突な印象が強いのも事実。かえって、本書で作者をはじめて知る読者のほうが素直に読めるはずだ。

2000/01/22

SFマガジン2000年2月号(早川書房)
 「変革の1960年代SF」特集。恒例の日本SF作家特集もあるが、今回は、この年代別特集についてのみ触れる。
 ハーラン・エリスン「プリティー・マギー・マネー・アイズ」は、名のみ高かった幻の傑作、これは奇妙な味の小説そのもの。バラード「死亡した宇宙飛行士」も、バラード独特のシチュエーションと登場人物が組み合わされた無二の作品。ゼラズニイ「フロストとベータ」は昨年の特集 (1950年代)のミラーに相当する、しかし人の本質に迫る雄大な叙事詩。ディレイニ―「スター・ピット」は、60年代の青春を“生態観察館(エコロガリウム)”という言葉に凝集している。
 昨年の1950年代に続いての特集である。まだ1くくりで見られた50年代と異なり、この時代は多様化が進んだ。第1にニュー・ウェーヴがあり、このことを欠いて60年代は語れない。昨年のマルツバーグと同様、今回もプリーストが、「本来手段であるべき“ニュー・ウェーヴ”が、なぜか目的化してしまった」経緯を的確に論じている。つまり、これは単なるファッション化であり、作品の出来とは、本質的に別物であるわけだ。とはいえ、時代を語る特集で“ファッション”を抜きすると、本当の意味でのダイナミズム(いわゆる時代の息吹き)は見えてこない。60年代SFが同時代を描くSFの始まりだったからこそ、重要なポイントといえる。そういう意味で、今回の特集がバラード、オールディスからヤング、レムまでを網羅するというのには、やや無理を感じる。
 実のところ、評者らがニュー・ウェーヴを知り始めたころには60年代は既に終わっており、凡そ10年の遅れでその足跡をたどっていた覚えがある。さまざまな意味で、この時代は個人的な感慨に結びついているために、却って一様には論じにくいのである。
表紙イラストレーション:鶴田謙二
装画:吾妻ひでお,装幀:新潮社装幀室 森青花『BH85』(新潮社)
 第11回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。養毛剤が突然変異ををおこして、人や生き物を飲み尽くし、ついには…、というお話。
 本書は「ファンタジー大賞」というカテゴリから出てはいるが、内容は完全なSFである(断言できます)。というのも、事件の発端(突然変異したキメラ細胞)から、融合した生物の意識、ついには現象の本当の意味まで、これまでSFが用いてきた視点で全てが語られているからである。深刻さもなく明るい破滅もの、吾妻ひでお風『ブラッド・ミュージック』(グレッグ・ベア)と、まあ分かりやすく言うこともできる。楽しめます。

2000/01/29

宇月原晴明『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』(新潮社)
 第11回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作。
 物語は、信長と、シリア出身のローマ帝国皇帝ヘリオガバルス(太陽神バール崇拝を広めるが4年で失脚)との奇怪な関係を、一人の日本人がシュルレアリズムの詩人・演劇家・俳優アントナン・アルトー(麻薬中毒者にして晩年は精神を病む)に語るという形式で進められる。信長は無骨で野蛮な人間というイメージがある一方、非常な美少年で会うものを魅了したという記録もある。そこにバール神(キリスト教では悪魔に擬えられる古代神)=牛頭天王(織田神社に祭られる、牛の頭を持つ神。いわゆる“くだん”ですね)の関係をみつけ、信長とヘリオガバルスの1300年を経た符合を見出す。しかも、この二人は両性具有者なのであり…。
 と、まさに驚天動地の展開を遂げる奇書といっていいのだろう。ただ、アルトーもヘリオガバルスも、(少なくとも評者には)なじみが薄いし、信長を描く部分は、類書を超えるものではない。その点では、やや一般性を欠くかもしれない。
装画:石井みき,装幀:新潮社装幀室

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