SFアドベンチャー 
    (1985年2月) 
     
      
    (ハヤカワ文庫版カバー) | 
     傑作である、というと誤解が生じる。かといって、これを単なる“怪作”と片付ける訳にはいかない。実に微妙なのでありますよ。 
     宇宙小説ではまったくない。今流行の、ジャパネスク趣味からも、やや外れる作品である。 
     たとえば、桜舞い散る下で、気の狂った日本人たちが、破滅していくありさま。鯨が自分達の祖先だと分かって、親殺しの恥に、次々と自殺をはじめる人々…。死の使い黒サムライ、死を促すカブキ、死の国シコク。 
     
     どこが違うか。 
     
     まず、本書には、意識的な「色眼鏡のラプソディ」が多分に含まれる。作者の、スチャリトクルは、タイ人にしてアメリカ人 
    (英語の方がうまい)、日本にも住んだことがある。妙に日本の実態を反映した、この書き方は、しかし、いわゆる知日家というより、独自の認識による視点とでもすべきだろう。デフォルメされた未来の“日本”は、異様な美的センスに溢れている。もちろん、われわれ日本人にとっても、異質な世界である。いや、この異質さは、原文を読んだアメリカ人以上かも知れない。アメリカ人には、頻出する日本語も、単なるガジェットに過ぎないからだ。未来に投影され、ねじまげられた日本は、おそらく作者の意図を越えて、一種のアルタネート・ワールドを構成している。 
     
     こういう感覚は唯一無二である。翻訳が原書以上の味を出すことは、結構あるのだが、本書のような例は極めてめずらしい。とにかく、アメリカでもタイでもなく、日本だけで読める語感である。 
     
     <千年期大戦>は、人類の地球を壊滅的に破壊する。そんな中で、日本は奇跡的に生き残る。しかし、終末大臣タカハシは、美しき民族の死を画策する。折しも、生存大臣イシダの娘リョーコは、放射能で汚染された大洋で、鯨の真の声を聞く。鯨との出会いは、かえってタカハシの計画に利用されてしまう。 
     
     いや、物語そのものは、決して誉められたものではない。特に、結末には不満が集まるだろう。ただ、知ってか知らずか、日本的狂気の原点″桜舞い散る下″に、舞台を置くセンスは、ありふれてはいるものの 
    (SFでは希なだけに) 
    優れている。本質的に、感性の小説なのである。魅力は、これまた歪められた、俳句に象徴される″言葉″にある。その点が、飾り物的な、凡百の東洋ファンタジーと異なる所だ。 
     
     うーむ、でもみんな渋いですね、賛同者は多くない。珍品という評価が一般的だろう。桜舞い散る下の(しつこいね)、金閣寺管長飛び下り自殺。実は、富士ハイランドのシコク(=死国)――この、ムチャクチャさが分からぬか。 
     とはいえ、客観的に見ると、なかなか、本書を支持できる人は少ないはずだ。物語でドライブする小説に比べて、どうしても、言葉型小説は不利である。読み手の嗜好に左右されやすい。言葉の感性にしたところで、逆に日本を描いたために、阻害されたと感じる場合もある。だから、形容なしで傑作と書くのは、ためらわれる。 
     
     要は、幅の狭い、好みの問題に帰着する。けれど、言葉、特にSF的ガジェットの意味を考えるうえで、面白いテキストを提供されたようなものだ。当たり前の言葉でさえ、こう書けば変容するのである。本書にある、捕鯨がどうのこうのなんて現実問題は、この際関係がない。それら、現実の日本の固有名詞や、ポピュラーな俳句が、どう使われて、こんな異質な世界を構成しているかを見るべきだろう。  |